ぱんどら

 上唇についたカプチーノの泡を舐めとって窓の外の世界を眺める。
 向かいのいかにもお洒落な宝石店に若いカップルが二人仲良く腕を組んで入っていった。
 この苦い気持ちはなにかしら。
 向かい側に座った男の方に視線をやれば彼はテーブルの隅に置かれた調味料の蓋を片っ端から開けてその中身を確かめている。
「それ楽しい?」
 どこか小馬鹿にしたような私の問いに一瞬きょとんとした顔をして彼は手にしていた緑色の粉チーズの蓋を閉じて脇に追いやると、自分のカップを持ち上げた。
「楽しいからやっているというよりはなんだか落ち着かなくてかな」
 一口飲んで苦笑しながらそう答える。別に初めてのデートでもあるまいし。
「トイレなら遠慮なく行けばいいのに」
「うわぁ最悪」
 わざと目を細めれば、彼は呆れたように肩を竦めてそれでも愉快そうに笑っていた。
 なんだなんだ。こいつは私と違って随分幸せそうじゃないか。
 俯いて彼にわからないように微苦笑してから私はもう一度窓の外に目をやる。憂鬱だ。
「……電気屋にでも行こうか」
 彼の提案は(誰がいつそう決めたのか)“機械に弱い”といわれる女を誘うには適当な場所とは言えなかったが、とにかくそれは私をまた彼の前に引き戻し、私の気分をさらに重くした。
 しかし、特に反対する理由も見つからず、またまさかここから見えるあの場所へ行こうなどと言えるわけもなかったので私は特に考えもせずに素直に頷いた。

 どうして最近の電気屋はどれもこれも大きくて喧しく馬鹿みたいに明るいのだろう。
 何故か中学時代を思い出して思案する。ああ、あの頃の男というのはみんなこんな感じだった。
 あの頃は楽しかった気がする。当然のように当時付き合っていた大きく喧しく馬鹿みたいに明るい男と結婚するのだと信じて疑わなかった幼い私。今私の隣にいる男もそうだったのだろうか。
「ねぇ、自分が中学生だった時のことって覚えてる?」
 私の質問に視線だけ合わせて彼は何も答えなかった。
 ただ私の言葉の真意を探ろうとするように深い双黒が私の揺れる瞳の奥をじっとのぞいている。
 急に人の過去を暴こうとする自分の行為が恥ずかしいもののように思えて、またそれを悟られたくなくて私は慌てて目を逸らす。
 そのまま気まずい気持ちで黙り込んでいるといつの間にか冷蔵庫売り場の前まで連れてこられていた。
 パールの入った四角い箱がまるでどこかの遺跡のように規則正しく並んでいる。 「こうやって――」
 冷蔵庫の縁に手をかけて彼はゆっくりとそのドアを開いた。
「冷蔵庫を開けるのが好きでね」
 中を確かめるように見てからパタンと音をたてて扉を閉じる。
 そして次の箱へ。
「たまに何か入ってるんだよ。・・・あ、ほら」
 そう言って少し腰を折った彼は下の引出しからビニルでできたレタスを取り出して笑った。
「これを見つけるのが楽しい」
 次から次へと開けられる冷蔵庫からまるで手品のようにいろいろなものを出しては得意そうに笑うので私もついつられて笑ってしまった。