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それは子供の頃、海原の向こうからやってきた友人が秘密基地の中で、そっと私だけに見せてくれたタマゴによく似ていた。 まっ白いシーツで覆った二段ベッドの薄暗がりの中でも、そのタマゴの美しさは少しも曇らなかった。赤や青や緑といった、原色使いで描かれた幾何学模様が鮮やかで、大きさは鶏の卵よりも少しこぶり。ゆるりと穏やかな曲線が美しいタマゴである。 友人の国では、春を迎えたばかりの満月の直後にやってくる祝日行事のために、子供が喜ぶような菓子や玩具と一緒に、あちらこちらに忍ばせるのだと言った。宝探しゲームのようなものだと理解して「やってみたい」と言った私に、友人は「イースターがやってきたらね」とたどたどしい日本語で答え、私たちは指切りをした。しかし、その日がやってくる前に友人は母国へ帰ってしまったので、私は彼のいう“イースター”を迎えることが、とうとうできなかった。 私が日頃、めい一杯の化粧水をしみ込ませている厚手のコットンを、乾いたまま、贅沢に重ね広げ、その上にタマゴをそっと置く。上から眺めたり横から眺めたり斜めから眺めたりした後、もう一度手にとってみた。仄かな温もりがあるといえば、ある。しかし、ないといえばないような気もする。僅かに尖った方を下にして回転させてみる。いくばかりかしか回らず、あとはごろんぐわん、ごろんぐわんと揺れるばかりなのでゆでたまごでもなさそうだ。生まれるかもしれないものを打ち捨てて駄目にしてしまうのはしのびない。孵卵器なんてものがあればいいのだけれど、当然そんなもの、あるはずがなかった。 ふと思い立ち、押入れの下から、ピンク色の電気あんかを取り出してコンセントにプラグを差し込む。少し考えて、ダイヤルを中に合わせた。何事も、ほどほどでなければならない。そしてその上に、さきほど広げたコットンを敷き直し、卵を寝かせた。指で机を軽く叩き、拍子を打ちながら子守唄を口ずさみ始めると、いつのまにか自分が眠りに落ちていた。 “それ”は気が付くとギーギーと鳴いていた。ただ、傍らにはみしみしとヒビが入ってふたつに割れたタマゴの殻があったから、彼がやはりそこから生れ出てきたことは間違いないと思う。懐かしさも手伝って、たまたま入った雑貨店で思わず購入してし、悪ふざけに任せて温めてみたまではよかったが、そこまでしておいて、まさか何か生まれるとは思わなかったので驚いた。まして、孵ったのは鳥でも爬虫類でもない。カゲロウのような薄っぺらい翅が生えた人間だ。 私は初めこそ困惑したが、生まれてしまったものは仕方がない。自分もその手助けをしたからには責任がある。 かのむかし、桃から生れた赤ん坊は桃太郎と名付けられ、一寸ほどの身の丈しかなかった子供は一寸法師と名付けられた。なので私は、その古からの儀礼に従い、タマゴから生れた一寸ほどの身の丈しかないそれを“タマゴホウシ”と呼ぶことにした。お世辞にも語呂が良いとはいえないが、幼い少女がぬいぐるみに与えるような名前が似合うようには思えなかったし、何よりわかりやすいに越したことはない。 「それにしても、オスみたいでよかったわ」 不思議そうに、ぱたぱたと周囲を見回しているタマゴホウシの後ろ姿を眺めて呟く。 「女の子だったら、あなた“おやゆびたまごひめ”って名前になるところだもの」 振り向いた当の本人は、私の顔を少しの間見つめた後、また落ち着きなく周囲をきょろきょろと見回した。 タマゴホウシは私の茫漠とした予想に反して、みるみるうちに大きく成長することもなく、どこかへ旅に出たいと言い出すわけでもなく、ベランダに並んだプランターとプランターの間を元気に飛び回っていた。 タマゴから孵って2週間。ようやく、彼の生態が少しずつわかってきたところだ。食事は基本的に、アオムシのように植物の葉を食べ、朝露で喉を潤すが、どちらかといえば、こんぺいとう、甘納豆、それからゼリービーンズなどの甘いものの方を好んで欲しがる。私が食事のあとのコーヒーのために用意した角砂糖まで齧るものだから、砂糖の管理には十分に気を使った。いくら私が予防のために必要な数より多く角砂糖を用意しても、タマゴホウシはそのどれもに虫食いのような小さな歯型を残してしまうのだった。 一人遊びに飽きたのか、タマゴホウシはベランダから室内に戻ってきた。私の顔を見てギーギーと鳴く。私は台所から色とりどりのゼリービーンズが入った袋を持ってきて、ひとつだけ、与えた。 「ねえ、それ、おいしいの」 タマゴホウシは、ひと抱えもある毒々しい色をしたゼリービーンズにすっかり齧りついていて、こちらを見ようともしない。袋に手を突っ込んで、私もひとつ失敬する。真っ赤なビーンズに、小さな薄いピンク色のアルファベッドが並んでいた。ストロベリー。いちご味か。しかし、それは菓子独特の香料の味で、あの夏のみずみずしいいちごとは、まるで違うものだった。噛み砕けば、ざらざらとした砂糖粒が口の中で転がる。 「この艶々をね、ハニーワックスっていうんですって」 そんな私のうんちくにも、タマゴホウシは興味がない様子で、夢中でゼリービーンズを貪った。 |