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しばらくして「――ああ、そうだそうだ」と言って生島くんがどこからか取り出したクッキーを私たちはチリ紙の上に並べた。お互い、新しい皿を取りに立ち上がるのが億劫だったのだ。こうした人間の惰性が地球環境を破壊してゆくのだと他人事のように思う。思うだけ。 最初はせめて形だけでもとぐるり重ね合わせるように上品ぶって並べていたのだが、残った分をその上に積み上げたので、結局チリ紙の皿に相応しく――ついでに私たち二人にも相応しい貧乏くささにできあがった。 「この赤いのはなにかなあ」 クッキーの山の頂上を生島くんは指差す。 「さくらんぼじゃない」 「飴でしょう」 「わかってるなら訊かないでよ」 どうでもいい言葉のやりとり。生島くんがぽろぽろとクッキーの粉をこぼす。私は丁寧にこぼれた粉を集める。 「ところで、人間の消費期限っていつだろう」 チリ紙の上がほとんど片付いてしまった頃、生島くんが呟いた。 「死んだときじゃないの」 「死んでから5日後の久梨子さんか」 生島くんはひとりごちる。それきり生島くんはクッキーの真ん中の赤いところだけを残してしゃべりも動きもしなくなってしまった。生島裕という人はときどきそうなってしまうのだ。私は生島くんがそうなってしまった状態を生島くんが“生島世界へ旅立っている最中”なのだと解釈している。しかし、そう解釈はしているものの、私にはなぜ生島くんが所構わず“生島世界”へ旅立ってしまうのか、まったくわからずにいた。それでもようやく三年付き合ってわかったことは、こうなってしまった生島くんを呼び戻すことは容易ではない――いや、不可能だということで、私は生島くんが“生島世界”から戻ってくるまで、おそらく生島くんが思い描いているのであろう“かぴかぴになった私”の姿を仕方なく想像してみることにした。 まず手始めに、私はいつものように布団の上で寝ている自分をパジャマから白い装束に着替えさせた。滑らかにかんながけがされ、釘も使わずぴたりとあつらえられた棺桶の中にはスポンジに包まれたオレンジやイチゴや洋ナシみたいな色とりどりの花がしきつめられている。そこへ私はえいやと片足をあげ縁を跨ぎ、できるだけ花を傷めないよう気をつけて横たわる。箱の中におさめられた血の気のない真っ白な私――ロールケーキみたいな牛尾久梨子。 ――あまり手応えがない。想像力のない女だとよく言われる。私は、ははあと思った。 「あのコーヒーメーカー、入れてあげるよ」 いつものように唐突に、生島くんは“生島世界”から戻ってきた。 「入れてあげるって」 「棺桶に」 知っているなぞなぞの答えを確かめるように尋ねれば、やはりその通りの答えが返ってきて嘆息する。 「それだけ入れてもらってもね」 ああ、この男は私より長生きするつもりでいるのか。生島くんよりもとうに“牛尾世界”から帰ってきていた私は少しがっかりとした。私にコーヒーメーカーを持たせてしまったら、生島くんコーヒー淹れられないじゃない。 「そうか。コーヒー豆も入れないと」 しかし私の心の内などわからない生島くんは私の言葉の意味を別解釈してとぼけたことを言う。けれど仮に生島くんの方が先に死んでしまったとして、だとしたらそれこそ、誰がこのカフェイン中毒の私においしいコーヒーを淹れてくれるというのだろう。おいしいコーヒーのない生活なんて考えられない。私は消費期限の切れた生島くんを思い浮かべてみた。 「カップも忘れないで」 私たちはあははと笑った。 「それではね」 生島くんがそう言って帰ってしまってから、私はテーブルにまとめたクッキーくずとチリ紙を捨てる間もなく冷蔵庫から緑の箱を取り出した。消費期限の切れた自分と生島くんの姿を想像してから、ずっと気になっていたのだ。蓋を開け、生クリームでおおわれた二十五センチほどのロールケーキをのぞく。薄い透明フィルムの向こうではやはりその表面がところどころひび割れていた。どうしてこんな風にになってしまうまで放って置いたのだろう。途端にあれほどまでに憎らしかったロールケーキが哀れになった。ちくりと胸が痛む。 フィルムをめくり、美しく切り揃えられたケーキの端を私は少しだけちぎりとって口に含んだ。油っぽい。変な臭いはしなかったけれど。かすかに、缶詰のみかんの味がする。指先に触れたスポンジはかぴかぴですかすかとしていたのに、クリームだけはただただ油濃かった。たまらず吐き出し、咳をする。 ひび割れて、かぴかぴのすかすかになった私と生島くん。人は何故、それまで受け入れられたものを受け入れられなくなってしまうのだろう。 ほんの5日前までは――4日前くらいまでなら、何の不都合もなく食べられるはずだった甘い甘いロールケーキを今では心も身体も受け入れようとはしない。 ――ああ。――ああ。と私は二度鳴いた。何かを嘆くように二度、喉を鳴らして。生島くんが淹れてくれたコーヒーの残りで口をすすいで、私は5日遅れのお礼をすべく受話器を上げた。舌に残るこの苦味や、ふとした瞬間“生島世界”に旅立ってしまう生島くんをいつか受け入れられなくなる日がやってくるのだろうと頭の片隅で感じながら。 |