小さな果物ナイフで、彼は器用に林檎の皮を向き始めた。
それはつい昨日まで、隣りのベッドに寝ていた人が置いていってくれたものだった。
「どうせやから、うさぎにしてな」
そんな私の言葉もすっかり忘れて、丸のままの林檎に刃をたてているのを、白いベッドの上に腰かけた私は「まあ、いいか」と、ただ黙ってその様子を見ている。
安全のためにと、半端にしか開かないようになっている窓の隙間から風。
この季節の風はいつもどこか重たい気がする。
どくどくと脈を打つ地面から、ありとあらゆるものを吸い取って、一気に吐き出しているような、そんな重々しさを感じる。
もっとも、それもこの部屋の空気よりはずっとマシなものだけれど。
彼はずっと林檎から顔をあげず、わざと時間をかけてナイフを動かす。
慎重、というのではない。ないが、結果的にそうなって、じんわりとした螺旋をつくる赤い皮はいつのまにか、あと床まで数センチというところまで垂れていた。
うまくいけば、部屋の一番奥に置かれた私のベッドから病室の入り口くらいまで、レッドカーペットのようにのばすことができるかもしれない。
それなのに、皮は床にとどくこともなく、ぷつんと、あっけなく千切れた。
「あ」
どちらとでもなく声をあげる。
「切れてしもた」
独り言のように呟いて椅子に座ったまま前屈みになって腕を伸ばす。
そうして彼は千切れた林檎の皮を指でつまんだ。
なんだか酷く寂しい気持ちになる。
「せっかく長く剥けとったのに勿体無いな」
「そやな」
私の言葉に頷いて彼は私に千切れた皮をよこした。
私はそれを端と端をそれぞれ右と左の手にのせる。
胸の前で広げて少し弛むくらいの長さだった。
「どんだけ気ぃつけとっても切れてしまうんやもんなぁ」
再び林檎にナイフの刃をあてながら彼は言った。
「今度はもっと気ぃつけて剥いたらええやん」
「そやけど、限界よりも短なってしもたやんか」
「そんなんしゃあないやん」
「しゃあないことないわ」
私への否定の言葉は、まるで叩きつけられたようだった。
「しゃあないことない」
私が何も言えずに黙っていると、もう一度、今度は呟くように繰り返す。
「ずっと、切れやんと剥けたら生き返るんと違うんかと思とったんや」
「・・…・いくらなんでもそりゃ無理やわ」
手首の傷をなぞる。
白いベッドの上には青白い顔を白い布で覆った私が寝ていた。
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