小麦粉

 小さな小さなビニールの袋に入った“小麦粉”を、僕は一万円で買った。別に欲しくて買ったわけではない。たまたま「売ッテヤル」というので、たまたま「買ってやった」のだ。それは本当にスーパーで小麦粉を買うときと大した違いのないやりとりで、拍子抜けする気も起きないような簡単な“取引”であった。
 派手なオレンジ色の街には胡散臭い日本人と胡散臭い外国人で溢れかえっている。制服のリボンを崩した少女や、酔っ払いのオヤジなんかと何度かすれ違い、無言で小さな秘密を共有しあう。安い石のはめ込まれた銀製のアクセサリー、軽い時計、アンチが多いことで有名なサッカーチームのユニフォーム、それから水みたいな酒を出す店。ここにくると、本当に金で買えないものなどあるのだろうかと思えてくる。きっと知らないうちに他人の人生さえも売り買いしているのだろう。そうしないと生きてゆけないのだ。金が無くて食べることができないとか、そういうことじゃない。つまり、みんな寂しくて死んでしまう。だからここへやってくるのだ。ここには秩序や正義みたいなもの以外は、たぶんなんでも存在あるから。

 昼の生活は眩しい。たとえばつまらない講義ををサボって公園のベンチに座って見上げる木々。そしてその間から射す光。ジャージ姿で散歩する老夫婦に平日の真っ昼間からイチャつく初々しいカップル。浮かび上がる影でさえ薄ぼんやりとしていて、こんな僕でも思わず馬鹿みたいにうっとりとした、幸福な溜息を吐いてしまうくらいに。
 無意識に、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。指先に何かが当たる。四角い。そして僅かな重み。軽く握り締める。頭を思い切り掴まれて乱暴に引っ張られたような気がした。背筋がひやりとして、足元からゾワゾワと筋肉が硬直する。――そうだ。そうなのだ。眩しいに決まっている。だってそうじゃないか。可笑しくて笑い出しそうな僕と、そんな僕を静かに傍観している自分がいた。僕はそこで、あることに気が付いたのだ。“ない”ということに。









 縦じまの影と光が無骨な机に模様を描いている。
「そうして彼は僕に言ったんです。もし明日の昼間も今日みたいに晴れていたら“ココ”にこようって」
「それで?」
「それで、僕は目に刺さった太陽の光が痛くて泣きました」